157 井草川 【川】(上井草2丁目41番)

 

ページ番号1007900  更新日 平成28年1月18日 印刷 

写真:昭和30年代、上井草3-18付近、井草川で遊ぶ子どもたちの白黒写真

足元の遊歩道は、昔は井草川と呼ばれる川の流路となっていました。井草川は、上井草4丁目付近を谷頭とし、流路の北限となる井草4丁目の矢頭公園付近まで北東へ向かい、そこから東南へと流れを変え、清水3丁目で妙正寺川に注いでいました。水源から妙正寺川との合流地点まで、約3.5キロメートルの小河川でしたが、地域の生活を支える河川でもありました。
宝永4年(1707)、下井草村名主半兵衛らの尽力により、千川上水(用水)を分水して青梅街道沿いに用水が開削されました。その水を谷頭口から取り入れた井草川は田方用水として積極的に利用されるようになり、明治期まで両岸には水田が広がっていました。
右の写真は昭和30年代の様子です。井草川は現代に至るまで、魚を捕るなど子どもたちの恰好の遊び場ともなっていました。このような井草川ですが、周辺の宅地化に伴い、暗渠化が進み、昭和56年(1981)には全ての流路が暗渠となりました。
井草川には更に古い歴史もあります。井草川流域には旧石器時代や縄文時代など、26か所もの遺跡があり、往時から人びとに利用されていたことがわかっています。このなかで、井草川上流から中流部にかけては、これまでに7遺跡で発掘調査が実施されています。調査では、旧石器時代(15,000年前頃~32,000年前頃)から縄文時代草創期・早期(8,000年前頃~15,000年前頃)の資料が多く発見され、特に古い時代の遺跡が集中していることは、この地域の特色といえます。
このように、井草川は先史時代から現代に至るまで、生活の舞台となっており、地域に恵みをもたらす川として多くの人びとに受け継がれてきました。台地に刻まれた井草川の流れは、地域に刻んだ歴史とともに、現在は公園や遊歩道として親しまれています。

平成25年3月

 

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