54 久我山稲荷神社 【神社】(久我山3丁目37番14号)

 

ページ番号1007914  更新日 平成28年1月18日 印刷 

この神社は、『新編武蔵風土記稿』多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社とあって「除地、二段五畝十五歩、堂屋舗にあり、小社にて上屋九尺に二間、拝殿二間に三間、南向、前に鳥居を立つ、石階鳥居の外に三級内に二十級あり、村の鎮守、例祭十一月にて日定らず、光明寺の持」と記されているように、創建の由来については詳かではないが古来からの久我山村の鎮守で、祭神は保食命です。
明治40年4月に字北原にあった天祖神社(祭神大日●貴命(おおひるめむちのみこと))が合祀されました。
昭和16年2月に村社となりました。
境内末社には八雲神社・天満天神社があります。
本社では、7月24日に夏祭りが行われ「湯の花神楽」が奉納されます。
その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病がやんだという故事によるものです。
この湯立ては、杉並区内では極めて珍しい行事となっています。
境内には明治32年に氏子が奉納した金玉均(朝鮮の李王朝末の政治亡命家)の手跡を刻んだ「人心同」の碑があります。
この碑は、久我山生れで、幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作左衛門が、遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不幸をわびる石碑を建ててくれと頼み、その心根に強く打たれた金玉均の手跡です。
なお、元禄16年(1703)の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられます。
また、昭和57年に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。

昭和58年3月

 

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局生涯学習推進課文化財係
〒166-8570 東京都杉並区阿佐谷南1丁目15番1号
電話:03-3312-2111(代表) ファクス:03-5307-0693