51 与謝野鉄幹・晶子旧居跡 【その他】(南荻窪4丁目3番22号)

 

ページ番号1008012  更新日 平成28年1月18日 印刷 

現在、公園となっているこの場所は明治・大正・昭和にわたり近代詩歌に輝くような功績を残した与謝野寛・晶子夫婦が永住の居として自ら設計し、その晩年を過ごした家の跡です。
関東大震災の体験から、夫婦は郊外に移ることにし、当時井荻といわれたここに土地を得て、昭和2年、麹町区富士見町より引越してきました。甲州や足柄連山を眺める遙青書屋と采花荘と名づけられた2棟のこの家に、夫婦は友人から贈られた庭木のほか、さまざまな花や植木を植え、四季折々の武蔵野の風情を愛でました。当時の荻窪を夫婦は次のように描いています。
私は独りで家から2町はなれた田圃の畔路に立ちながら、木犀と稲と水との香が交じり合った空気を全身に感じて、武蔵野の風景画に無くてはならぬ黒い杉の森を後にしてゐた。私の心の銀箔の冷たさを持つ霧が通り過ぎた。
『街道に送る』昭和6年 晶子
大いなるは爐の間のごとく武蔵野の 冬あたたかに暮るる一日 寛

井荻村一人歩みて蓬生に 断たるる路の夕月夜かな 晶子

また、この家で夫婦は歌会を催したり、『日本古典全集』の編纂や歌誌『冬柏』の編集をおこない、各地へ旅行して歌を詠み講演をしました。
昭和10年3月26日、旅先の風邪から肺炎をおこして入院していた寛は、晶子を始め子供達や多くの弟子達に看取られながら62年の生涯を閉じました。
寛亡きあと、晶子は11人の子女の成長を見守りながらも各地を旅し、また念願の『新々訳 源氏物語』の完成(昭和14年)に心血を注ぎました。
昭和17年5月29日、脳溢血で療養していた晶子は余病を併発して、この地に64年の生涯を終えました。

平成6年3月

 

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