歴史資料

 

ページ番号1009085  更新日 平成28年1月19日 印刷 

題目月待供養板碑

【杉並区指定有形文化財(古文書)】

写真:題目月待供養板碑

年代
宝徳3年(1451)11月23日
寸法
高さ813×幅280×厚さ17(ミリ)
解説
板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて関東地方で造られた、板状の石の卒塔婆です。
この資料は、日蓮宗の題目「南無妙法蓮華経」、月待信仰の「奉月待供養逆修」、造立年月日の「寶徳三年辛未」「十一月二十三日」などが刻まれたものです。室町時代の杉並地域における日蓮宗徒の存在を伝えるものであり、布教活動に月待という民間信仰行事を取り入れていたことをうかがわせるものです。日蓮宗の宗派と当時の民間信仰であった月待行事とが結びついた非常に珍しい例です。

寛永二年秀忠朱印状

【杉並区指定有形文化財(古文書)】

写真:寛永二年秀忠朱印状

年代
寛永2年(1625)9月2日
寸法
縦467×横665(ミリ)
解説
この資料は、将軍職を辞し大御所となっていた徳川秀忠が、旗本岡部吉正に宛てて出した朱印状で、「成宗」の「弐百八石六斗」を安堵したものです。岡部吉正は北条氏滅亡後に徳川家康の旗本となりました。岡部氏は成宗村と田端村を知行地とし、吉正の孫の忠豊が成宗村にあった天桂寺に葬られて以降、同寺は岡部氏の菩提寺とされました。
杉並の地名は、岡部氏が青梅街道の路傍に杉並木を植えて境界を明らかにしたことに由来すると伝えられています。

御鷹場御法度手形之事(井口喜容家所蔵文書)

【杉並区指定有形文化財(古文書)】

写真:御鷹場御法度手形之事

資料番号
井口喜容家所蔵文書C107
年代
天保8年(1837)8月
寸法
縦331×横730(ミリ)
解説
この資料は、下井草村の村役人が鳥見に対して「御鷹場法度」を守ることを誓って差し出したものです。鷹場は、将軍家や御三家などが鷹狩(鷹を放って狩猟すること)を行うための場所で、幕府領・私領の区別なく江戸周辺に置かれました。鷹場になった村々は、領主支配のほかに鳥見などによる鷹場支配も受けていました。鷹場法度や鳥見による口達などによって、鳥の捕獲禁止や建物普請の制限など農民の生活にはさまざまな制約が設けられていました。

江戸名勝図会 堀之内妙法寺

画像:二代歌川広重によって描かれた妙法寺の錦絵

資料番号
浮世絵版画2
年代
安政6年(1859)
寸法
縦364×横242(ミリ)
解説
この資料は、二代歌川広重によって描かれた妙法寺の錦絵です。描かれた境内の様子は、今とほとんど変わりません。元禄11年(1698)、妙法寺が目黒碑文谷の法華寺(現天台宗円融寺)の末寺から身延山久遠寺の末寺となった際に、法華寺に安置されていた日蓮上人の祖師像が妙法寺に移されると祖師像の霊験が現れ、以来「厄除祖師」として信仰を集め、参詣者で賑わうようになったといわれます。「堀ノ内お祖師様」と通称され、明治初期に造られた鉄門は国指定重要文化財となっています。

水爆禁止署名運動杉並協議会記録

写真:水爆禁止署名運動杉並協議会記録

資料番号
渡辺汀氏寄託 水爆禁止署名運動関係資料6
年代
昭和29年(1954)5月9日
寸法
縦264×横193(ミリ)
解説
この資料は、水爆禁止署名運動杉並協議会の議事録です。昭和29年(1954)3月1日、アメリカは西太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、日本の漁船第五福龍丸が被爆しました。この事件を契機として、同年5月9日、杉並区立公民館長の安井郁を議長とした水爆禁止署名運動杉並協議会が公民館で結成されました。原水爆禁止を求める運動は日本全国に広がっただけでなく、全世界へも広がり、昭和30年(1955)8月6日、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されました。

武州多東郡大宮内和田村御縄打水帳(写)

写真:武州多東郡大宮内和田村御縄打水帳の写し

資料番号
松島家所蔵文書E1
年代
天正19年(1591)9月1日
寸法
縦258×横186(ミリ)
解説
この資料は、和田村の検地帳の写しです。表紙に「廿五帖之内」と記されていることから、もとは25冊あったはずですが、現存が確認されているのは6冊です。検地とは、田畑を測量して石高等を定めることで、この検地は、天正18年(1590)に関東へ領地を移された徳川家康によって行われました。豊臣秀吉が行った太閤検地の影響を強く受けながらも、徳川氏が独自に行った検地で、田畑の等級の定め方や石高の記載方法等に太閤検地との違いがみられます。

 

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