124 民間信仰石造物(天沼1丁目) 【信仰】(天沼1丁目37番8号)

 

ページ番号1007852  更新日 令和4年8月22日 印刷 

ここに建立されている石塔は、宝永元年(1704年)銘・元文5年(1740年)銘の庚申塔、享保15年(1730年)銘の地蔵塔、宝暦9年(1759年)銘・享和3年(1803年)銘の百番観音供養塔です。いずれも天沼村の村民が現世での幸運と来世での往生安楽を願って造立したもので、当時の人々の信仰心の一端を伝えています。
庚申信仰は、人の中に棲むという三尸(さんし)の虫が眠っている間に抜け出して、天帝にその人の罪科を告げ、早死にさせるというのを防ぐために、庚申の夜は身を慎んで眠らずに過ごすという民間信仰です。江戸時代には、各地に講がつくられ、庚申塔の造立も盛んに行われました。この2基の庚申塔は青面金剛・三猿等を浮彫りにした一般的な塔で、講中による造立です。
地蔵菩薩は人間の苦を除き、楽を与え六道衆生を救済する仏として地域の人々の信仰を集めました。また、村境や辻に建てられ、境の守護と村の安全の守護を行う仏として大切にされてきました。
百番観音信仰も江戸時代には庶民の間に浸透しました。特に関東地方では西国・板東・秩父の百ヶ所霊場巡拝が盛行し、巡拝記念あるいは巡拝と同じ功徳を得るための百番観音供養塔が造立されました。この享和3年銘の供養塔は百番観音信仰と光明真言信仰とを一体にしたもので、区内では数少ない作例です。
これらの石造物は地域の区画整理の際に集められたもので、庚申塔は南方の桃園川辺の路傍、地蔵塔と供養塔は西方の熊野神社際の路傍から移転されたものです。なお、石造物隣の区画整理記念碑は、整理の完了した昭和13年(1938年)に建てられたものです。

 

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