44 天沼熊野神社 【神社】(天沼2丁目40番2号)
当社は、旧天沼村の鎮守で、伊邪那美命(いざなみのみこと)を祭神としています。
創立については明らかではありませんが、社伝によれば、神護景雲2年(768年)、東海道巡察使が武蔵国に来た折に、氏神を勧請し、別当を置いたのがはじまりと伝わります。
また一説には、元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉幕府執権の北条高時を討つため、鎌倉へ軍を進める途中で、この地へ陣をしき、社殿を創設したとも伝えられています。その後、応永2年(1395年)、朝倉三河守という武将がこの地に帰農した際、社殿を修理し、十二所権現と称するようになったといわれています。熊野神社と名称を改めたのは、明治維新以後のことです。
天沼は古くからの名称で、奈良時代末期の武蔵国の「乗瀦駅」から起こったといわれていますが、諸説あって定かではありません。周辺の地域からは中世の板碑が出土しており、その頃すでに開発が進んでいた地域であったと考えられます。蓮華寺の過去帳によれば、天沼村は慶長年間(1596年~1615年)には成立していたものとみられます。
境内には、直径2メートルにも達する幹をもつ大杉の切株が保存されています。社伝によれば、新田義貞がこの地を訪れた際、戦勝を祈願して手植えした杉と伝えられています。惜しいことに枯死したため、昭和17年(1942年)に伐採され、今では切株で昔をしのぶだけとなっています。また、この大杉の手前には、文久2年(1862年)9 月奉納の石造手水盤があります。
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