真教寺 【寺院】(永福1丁目7番79号)

 

ページ番号1007886  更新日 令和6年12月9日 印刷 

当寺は三宝山と号する浄土真宗本願寺派の寺院です。寺伝によれば、開基は黒田甲斐守の嫡子で、出家して真了法師と名乗り、文禄3年(1594年)に江戸麻布宮村(現・港区元麻布)に創建しました。寛永5年(1628年)頃も麻布にあり、その後、浜町の本願寺(現・中央区東日本橋三丁目)の寺内に移りましたが、明暦3年(1657年)の明暦の大火で焼失、万治年中(1658年~1660年)に本願寺とともに築地へ移転しました。
明治13年(1880年)の文書によれば、当寺は本願寺内末寺の一寺で、境内80坪余、檀家36戸の寺容でした。ところが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で全焼後、仮本堂を建てて引き続き築地に寺を構えていましたが、区画整理事業のため、昭和3年(1928年)に現在地へ移転しました。同年には本堂や庫裡(くり)が落成しましたが、昭和20年(1945年)5月25日の空襲により焼失してしまいました。現在の本堂は、昭和35年(1960年)に建立されたものです。
本尊の木造阿弥陀如来立像は、寛永7年(1630年)に西本願寺より開山真了に下附されたもので、江戸初期の作です。玉眼を有し、上品下生の来迎印を結んでいます。光背と台座は後補と考えられます。
また当寺には、宗祖親鸞聖人が80歳の時の自作と伝えられる木造親鸞聖人坐像、九条摂関家家司(けいし)田村采女正の作といわれる木造玉日姫(たまひひめ)君(親鸞聖人室)坐像、関白九条道家が作らせたと伝わる木造九条兼実(かねざね)(玉日姫父)坐像の3体が安置されています。当初は京都嵯峨の寺にありましたが、昭和10年(1935年)ごろ那須家より当寺に奉納されました。

 

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