113 民間信仰石造物(上井草二丁目) 【信仰】(上井草2丁目17番)

 

ページ番号1007899  更新日 令和6年4月25日 印刷 

ここに建っている石造物は聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)と、青面金剛立像(しょうめんこんごうりゅうぞう)が彫られた庚申塔(こうしんとう)です。いずれも、かつては現在地よりやや西方の道沿いにありましたが、区画整理のため、大正12年(1923年)に、この場所へ移されたものです。
向って右側の聖観音立像は、寛延2年(1749年)11 月15 日の造立で、昔も今も変わることなく西を向いており、「富士向観音(ふじむきかんのん)」の名で親しまれてきました。観音は現世利益を本願とし、種々の相に身を変えて衆生(しょじゅう)の悩みを救済してくれるといわれ、広く信仰されました。聖観音は、観音の中でも多く造られ、この石造物もまた、念仏講と思われる講中によって造立されたものです。
左側の庚申塔は庚申信仰の講碑で、享保7年(1722年)10 月吉日の造立です。庚申信仰は、60日に一度巡ってくる庚申の夜、眠っている間に体内の三尸(さんし)の虫(人の体内に潜み害悪をなすとされる3 匹の虫)が、その人の罪を天帝に告げて寿命を短くするため、その夜は徹夜をすべきという道教(どうきょう)説に由来するといわれています。庚申講の信仰活動の中心は、夜にいわゆる庚申待(こうしんまち)をすることでした。庚申塔は、講の成立や行事の成就などの際に供養として造られることが多かったといわれ、この塔も講中の人々が、そうした折に造立したものと思われます。
なお、2 つの石造物の銘文にある「遅野井村(おそのいむら)」は、上井草村の別称です。また「講中二十一人」「同行廿二(にじゅうに)人」という数字からは、造立に関わった講の規模がうかがえます。
これらの石造物は、かつての上井草村における民間信仰の様相を今に伝える貴重な文化財です。

 

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