119 地蔵坂 【坂】(善福寺1丁目8番3号)
この坂道は、別名「御立場坂(おたてばざか)」「寺分坂(てらぶざか)」とも呼ばれていますが、一般的には地蔵坂と呼ばれています。名称の由来としては、かつて坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩や庚申塔(こうしんとう)、馬頭観音(ばとうかんのん)などが祀られていたことにあるようです。
いつ頃から地蔵坂とよばれていたかは不明ですが、舟形を呈した享保17年(1732年)銘の地蔵菩薩があることから、江戸時代中期以降と考えられます。また、地蔵菩薩は北を向いていたところから、「北向地蔵」とも呼ばれていたそうです。他には、貞享2年(1685年)銘、宝永2年(1705年)銘、正徳6年(1716年)銘の庚申塔、文政7年(1824年)銘の馬頭観音などがありました。
この馬頭観音には、「東江戸」「西ふちう」と彫られており道標の役目をしていました。近代になってからは東多摩郡井荻村、豊島郡石神井村、北多摩郡吉祥寺村の3郡の境に立てられていたため、「3郡境の馬頭様」と呼ばれていました。現在これらは、観泉寺(今川二丁目16番1号)に安置されています。
また、地蔵坂交差点に近い台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、昭和56年~57年(1981年~1982年)に実施した発掘調査では、旧石器時代(約18,000年~27,000年前)のナイフ形石器やスクレーパー(掻器(そうき))など多数の石器類と礫群(れきぐん)(調理や焚き火の跡)、縄文時代早期(約9,000年前)の土器や石器が多数出土しており、住居跡や炉穴(屋外炉)も検出されています。特に、荻窪中学校の校庭から発掘された縄文時代早期前半の住居跡は、区内で初めて発見されたもので、考古学的にも大変貴重です。
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