119 地蔵坂 【坂】(善福寺1丁目8番3号)

 

ページ番号1007962  更新日 令和4年8月22日 印刷 

この坂道は、別名「御立場坂(おたてばざか)」「寺分坂(てらぶざか)」とも呼ばれていますが、一般的には地蔵坂と呼ばれています。名称の由来としては、かつて坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩や庚申塔、馬頭観音などが祀られていたことにあるようです。
いつ頃から地蔵坂とよばれていたかは不明ですが、舟形を呈した享保17年(1732年)銘の地蔵菩薩があることから、江戸時代中期以降と考えられます。また、地蔵菩薩は北を向いていたところから、「北向地蔵」とも呼ばれていたそうです。他には、貞享2年(1685年)銘、宝永2年(1705年)銘、正徳6年(1716年)銘の庚申塔、文政7年(1824年)銘の馬頭観音などがありました。
この馬頭観音には、「東江戸・西ふちう」と彫られており道標の役目をしていました。近代になってからは東多摩郡井荻村、豊島郡石神井村、北多摩郡吉祥寺村の三郡の境に立てられていたため、「三郡境の馬頭様」と呼ばれていました。現在これらは、観泉寺(今川2丁目16番1号)に安置されています。
また、地蔵坂交差点に近い台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、昭和56年~57年に実施した発掘調査では、旧石器時代(約1万8千年~2万7千年前)のナイフ形石器やスクレーパー(掻器)など多数の石器類と礫群(バーベーキューの跡)、縄文時代早期(約9千年前)の土器や石器が多数出土しており、住居跡や炉穴(屋外炉)も検出されています。特に、荻窪中学校の校庭から発掘された縄文時代早期前半の井草期の住居跡は、区内で初めて発見されたもので、考古学的にも大変貴重な資料です。

 

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