110 華徳院 (けとくいん)【寺院】(松ノ木3丁目32番11号)

 

ページ番号1008006  更新日 令和3年11月16日 印刷 

当寺院は、称光山長延寺と号する天台宗の寺院で、本尊は閻魔(えんま)大王です。「寺社書上」等によれば、下野国佐野(現・栃木県佐野市)の地に、天台座主第三世慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開創されたと伝わり、理正院長延寺(りしょういんちょうえんじ)と称しました。
その後、武蔵国霞ヶ関(現・千代田区)を経て、慶長年間(1596年~1615年)には浅草蔵前天王町(現・台東区浅草橋)に移り、閻魔堂を管理するようになりました。現在地に当寺院が存するのは、大正2年(1913年)より、東京市の区画整理によって、墓地を杉並区松ノ木に移転していたこともあり、昭和4年(1929年)に、牛込千手院行元寺(ぎょうがんじ)(新宿区)の閻魔大王を本尊として迎え、この地に本堂を建立したためです。
寛保3年(1743年)、同寺院は大寺格となり、延享年間(1744年~1748年)、大檀那の越後国安田藩主堀丹後守直時(ほりたんごのかみなおとき)〔寛永20年(1643年)没〕の法名に因(ちな)み、寺院名を華徳院に改めたと伝わります。江戸時代は「蔵前の閻魔堂」と呼ばれ、運慶作といわれた閻魔大王像のほか、姥堂(うばどう)には本尊と同木の運慶作といわれた奪衣婆(だつえば)像、聖徳太子作と伝わる化馬(けま)地蔵尊が祀られ、善養寺(ぜんようじ)閻魔堂(豊島区)、太宗寺(たいそうじ)閻魔堂(新宿区)と並び「江戸三閻魔」の一つにも数えられ、正月と7月の16日の大賽日(だいさいにち)には参詣人で大いに賑わったといわれています。
大正12年(1923年)の関東大震災により、これらの仏像も本堂とともに焼失してしまいましたが、その後、蔵前の閻魔堂は再建され、日光輪王寺(にっこうりんのうじ)より閻魔大王をお迎えしました。昭和20年(1945年)の戦火により閻魔堂は再び焼失しましたが、閻魔大王像は焼失をまぬがれ、現在、華徳院に安置されています。

 

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