41 観泉寺薬師堂(薬王院)【寺院】(桃井2丁目4番2号)

 

ページ番号1008020  更新日 令和6年4月25日 印刷 

この薬師堂は、かつては薬師如来像を本尊とする寺院で、玉光山薬王院と呼ばれていました。開創は元禄年間以前といわれ、開山は海光和尚と伝えられています。
薬王院は開山当初より今川氏の保護をうけ、元禄13年(1700年)に今川範高から土地を寄進され、享保4年(1719年)に今川氏の祈祷所となりました。ついで延享4年(1747年)頃に今川氏の菩提寺である観泉寺の末寺となり、明治維新の際、観泉寺に合併され、以後同寺の境外仏堂として今日に至っています。
「新編武蔵風土記稿」は、江戸時代の薬王院について「地頭除七段 小名寺分ニアリ 玉光山ト号ス前寺ノ末 客殿七間ニ四間半南向 本尊ハ坐像ノ薬師ニテ長八寸五分 開山開基詳ナラス」と記しています。
明治15年(1882年)、境内の一隅に不動明王を祀った不動堂が設けられました。本尊は寄木造りの坐像で、近在の人々は「お不動様」と呼んで信仰し、3 年後の明治18年(1885年)には信徒によって成田山成開講がつくられました。そして、近年まで行者の道場として栄えていたといわれています。
なお、薬師堂には明治8年(1875年)4 月に現在の区立桃井第一小学校の前身である桃園学校第二番分校が置かれ、杉並近代教育の歴史に記念すべき足跡を残しています。

 

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