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すぎなみビト 俳優 角野 卓造
今日もまた、いつもの中央線に揺られて。
舞台やテレビドラマでの名演技、その親しみやすい人柄で、幅広い世代に愛され続ける俳優・角野卓造さん。人生を振り返ると、不思議なほど中央線との縁が深いのだそうです。今回は、荻窪在住歴44年目になるという角野さんに、中央線の思い出、杉並のまちでの過ごし方、お気に入りの場所などを伺いました。
目次
中央線ならではの温度感っていうのかな。それが大好きなんです
プロフィール:角野卓造(かどの・たくぞう)
昭和23年8月10日、東京都生まれ。幼少期を大阪で過ごし、中学校から再び東京へ。昭和45年、文学座附属演劇研究所入所(第10剘)。47年に初舞台「飢餓海峡」(文学座)を踏み、その後50年に座員となる。令和6年3月、退座。舞台俳優としてだけでなく、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり(シリーズ)」をはじめテレビでも活躍。また、俳優業のみならず趣味である「音楽」「旅」「酒場巡り」などの番組・書籍・連載など幅広く活動している。受賞歴多数。平成20年度には紫綬褒章を受章。
中央線沿線と大阪のど真ん中で過ごした子ども時代
角野さんの人生は、中央線との縁がとても深いとお聞きしています
生まれは信濃町にある慶應義塾大学病院。親父は広島の呉市出身で、私が生まれたときに一期だけ県議会議員を務めていた。私は小さい頃から親父の仕事が忙しくなると、四ツ谷にあるお袋の実家に預けられることが多かったんです。
大阪で暮らしていた時期もあったそうですね
幼稚園から小学校の間は、親父が大阪の道修町で喫茶店をやっていたので、大阪のど真ん中で育ちました。関西にいたのはその頃だけなんだけど、物心ついたときを過ごしたからね、関西の文化はしっかり染みついていて、今でも西へ向かうと関ケ原あたりでカチャッと関西人に変わるんだよ。
小学校まで大阪で、その後また中央線沿線に戻ってきたのだとか
そう、親父が東京でも事業を始めるために麹町に事務所を構えて、私はまたお袋の実家に預けられて、そこから麹町中学校に通う生活が始まったんです。その後、武蔵小金井に家族で引っ越して、中学最後の1年間は武蔵小金井から麹町中学校まで通うことになったので、高校生活も含めて、とにかく毎日中央線に乗っていました。
通学していた頃の中央線には、どんな思い出がありますか?
昔はまだ中央線が高架化されていなかったから、踏切がたくさんあって、車窓から線路沿いにびっしり並んだ家が見えたんだ。そのうち中野から西側が高架になって、荻窪は青梅街道が渡っているからそこで一度下って、また西荻窪に向かって上がっていって、また三鷹で下って…。忘れようがないくらい幾度となく見た景色だから、今でも覚えています。
文学座に入所。初めての一人暮らしは阿佐谷で
劇団・文学座に入ったのは何歳のときですか?
入所は22歳のとき。中学で芝居に目覚めて、高校・大学と演劇に力を注ぎ、行きたい劇団・やりたい芝居みたいなものもあったけれど、自立した一人の俳優になりたくて。そのためには大きい劇団でなければダメだと分かっていたので、就職のつもりで文学座を選びました。当時は武蔵小金井の実家から信濃町にある劇団の稽古場まで通っていたけれど、家に帰るのはせいぜい週3日くらいだったな。新宿のゴールデン街で仲間と過ごして、そのまま誰かの家に転がり込む。そんな生活でしたね。28歳くらいで、やっとこさ自分で家賃が払えるようになって一人暮らしを始めました。
そこで住み始めたのが杉並だったのですね
中央線から離れられるような気はしなくて、良い物件を探していたときに見つけたのが阿佐谷の家だった。エレベーターもないマンションで、今でも中央線の高架から見えるんだよ。そこに住んでいる間に結婚もして、劇団の旅公演で甲府・松本方面に行くときは、マンションのベランダからかみさんが手を振る姿が特急列車から見えたのが懐かしいな。子どもが生まれて荻窪に家を建てて、今に至るまで44年間荻窪。つまり、大阪にいた8年間を除くと、人生のほとんど中央線から離れていないというわけだ。
まちで楽しむ一人飲み。善福寺川散歩もお気に入り
杉並では特にどのまちが馴染み深いですか?
杉並のなかでも親しみのあるまちは、荻窪・阿佐谷・西荻窪。この3駅には、もちろん行きつけの店がいくつかあります。まちを見る基準は、ゆっくり静かにおいしいものが食べられて、おいしいお酒が飲める店があるかどうか。私みたいな世代が飲みに行きやすい店があると、そのまちの好感度は自分の中でぐんと上がるよね。
普段飲みに行くときはお一人派ですか?
若い頃は舞台の稽古が終わるとそのまま役者たちで居酒屋へ行って、稽古場の続きみたいな時間を過ごしたけれど、40歳過ぎくらいになるとそういうのも疲れてきて、一人になりたくなる。だから今は一人で飲みに行くのが好きだね。その店の味がよく分かるから。誰かと一緒だと、ちゃんと楽しんでいるかな?と心配になる。そういうことを一切考えず、一人で静かに飲みながら「次に何頼もうかなあ」って考えているのが幸せです。
そのほか、杉並ではどんな場所がお気に入りですか?
荻窪では、やっぱり善福寺川周辺ですね。川沿いの善福寺川緑地は気持ちがいいし、細くても道があるからどこまでも歩ける。善福寺川ってものすごく蛇行していて、歩いていると自分がどこにいるのか、東西南北が分からなくなるんだよ。不思議なところで半島みたいになっていたりして。ストレートに流れていなくて、そこが面白いっちゃ面白いですよ。
散歩にはよく行かれるのですか?
大田黒公園の近くに息子が住んでいて、今はそこまで朝歩いていくのが習慣になっています。朝5時半ごろに息子の家ヘピンポンして、起きてくる間にガレージでストレッチをして準備。そして息子と2人で「今日はあっちにしようか、こっちにしようか」とか言いながら、30分くらい散歩をします。世間話などをしながらね。なぜこの習慣を始めたかというと、健康のために歩くのに、一人で続けようと思うとサボるから。私から息子を誘って始めたんだ。毎年正月にはこの散歩で、善福寺川を下って大宮八幡宮まで歩いています。お参りをして初詣を済ませて、西永福駅まで歩いたら婦りは電車で帰ってくる。これからの桜の季節も善福寺川周辺はすごいですよね。わざわざ花見に行かなくても、朝の散歩で十分桜を楽しめます。
荻窪在住44年。引っ越したいなと思ったことはありますか?
いまだにちょっとだけ「住みたいな」という思いがあるのは西荻窪。落ち着いた住宅街だし、いいお店がちょんちょんと点在しているでしょう。ターミナル駅の荻窪とはまた違う雰囲気があって、住んだら良さそうだなあと夢想したこともありました。でも、やっぱり荻窪みたいに便利なところはないなって揺り戻される。45歳で車の運転をやめたけれど、全く問題ないくらい交通の便がいいですから。仕事場に行くのにも、帰ってくるのにもすごく便利です。電車が好きだからね。荻窪に住んで44年、とってもいいまちに住まわせてもらっている気がしています。
これからの荻窪のまちに、どんなことを期待しますか?
今、人口減少とか少子化とか言われる中で、荻窪のまちを歩いていると「どこが少子化やねん」ってくらい、ベビーカーも多いし家族連れも多いし、人がどんどん増えている感じがする。私ぐらいのシニアも元気に群れをなしているのをよく見かけるし、「元気なまちだな」と思うよ。これからまちがどう変わっていくのかなんて、分からない。だって、まちは生きているんだから。でも自分が生きているうちは、できれば行きつけの店は変わらずにあってほしいなと思います。
これからの季節に歩きたい!角野さんおすすめの散歩スポット
毎日の散歩が日課の角野さんに、これからの季節に歩きたい散歩スポットを教えてもらいました。
- 大田黒公園
正門から続く道を歩くと、手入れの行き届いたきれいな庭園を一周できます。
- 善福寺川緑地周辺
美しく整備された遊歩道は、四季の変化を楽しみながらの散策に最適です。
抽選で3名に、角野卓造さんのサイン色紙をプレゼント!
対象 | 区内在住・在勤・在学の方 |
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申込方法 | はがきに郵便番号・住所・氏名・年齢・「広報すぎなみ」の感想・意見を書いて、広報課広報係(〒166-8570 杉並区阿佐谷南1丁目15番1号)宛てお送りください。または応募フォーム![]() |
申込期限 | 4月1日(消印有効) |
その他 | 当選者の発表は、プレゼントの発送をもって代えさせていただきます。応募の際に得た個人情報は、プレゼントの発送のみに使用します。 |
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総務部広報課広報係
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