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すぎなみビト 旅するイラストレーター キン・シオタニ
絵と言葉と旅を人生に携えて。
ラフ感と繊細さを秘めた独特のタッチで描かれるイラストと、詩的で長いタイトルのついた、唯一無二の作品を描くキン・シオタニさん。イラストレーター・文筆家であり、地元である中央線沿線をはじめ全国のまちの面白さを知り尽くし、旅を愛するキンさんに、アートと旅の原点や杉並の魅力などを伺いました。
(撮影協力=床屋のタナカ)
目次
全国どこへ行っても、「地元の人」のようになりたい

プロフィール:キン・シオタニ
昭和44年杉並区生まれ。全国の雑貨屋で販売された「長い題名シリーズ」のポストカードで注目され、さまざまなメディアでイラストを発表するほか、作品集の出版、メディア出演、パフォーマンスやトークイベントの出演・企画を行っている。大きな仕事から個人的な仕事まで、その幅の広さは他に類を見ない。また長年の旅の経験から日本各地のまちを独自の視点で捉え、イベント・講演会などで語り、多くの支持を集めている。
詩人になるのをやめた翌日から絵を描き始めた
独特な魅力を放つキンさんのイラスト。子どもの頃から絵が好きでしたか?
子どもの頃は、絵は全く描いていなかったです。学校の美術の成績も2とか。むしろずっとなりたかったのは物書きで、文章の方でした。僕は荻窪生まれ、小金井育ちなのですが、三鷹にお墓がある太宰治に親しみを感じていて、中学生のときに「人間失格」を読み、その独自の文体にすごく引かれました。
物書きを志して、どんな道を歩まれたのでしょうか?
大学で師事したのが、イギリスの詩人、クリス・モズデルでした。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などの作詞をしている人で、僕はYMOを聴いたことがなかったけどイギリスの音楽が好きだったし、クリスはすごくかっこよくて憧れでした。彼がいなかったら今の僕はないと言えるくらい影響を受けた。だから自分もクリスのように詩の道で生きようと思って、23歳くらいのときに、書きためていた詩を専門の出版社に持って行ったんです。すると、偉い編集者に「詩人は食えるようではダメだよ」というようなことを言われて。ある意味名言だと思うのだけど、なんかめんどくさいなと思って(笑)、詩人はやめることにしました。じゃあ詩でなければ絵かな?と考えて、次の日にはもう絵を描き始めていましたね。
次の日とは驚きです。なぜ「絵」だと考えたのですか?
詩を紙とペンで書いていて、そのまま紙とペンでできるのが絵だったからです。例えば音楽をやるとなったらギターとかを買わなきゃいけないでしょう。あとは、実家で大量にもらった年賀状の余りと筆ペンを使って、以前から何となくグルグルと絵を描いてもいたんです。そのときは詩人になるつもりでしたが、描きながら「これはいつか世の中に出るだろうな」という根拠のない自信もあって。そのとき描きためていたものをポストカードにして売り始めたのがイラストレーターとしての最初のスタートでもあるから、人生って分からないよね。
作品の特徴でもある長いタイトルは当初からつけていたのですか?
描きためていたときはタイトルはなかったけど、売ろうと思ったときにつけました。当時はやっていたアーティストの作品は「無題」が多かったこともあり、それなら俺は絵を見ただけでは絶対に分からないような長い題名をつけよう!と思って、「一番きれいな雪の破片を見つけ、そしてそれを食べようかと考えている青年」とか、そういうタイトルをつけました。
その、いわゆる「長い題名シリーズ」が本屋や雑貨屋に置かれるようになり、井の頭公園での路上販売もあって、少しずつ世の中に知られていったことでさまざまな仕事につながっていった。僕のテーマは「アート」と「旅」の2つなんだけど、アートにおいては絵だけじゃなく言葉もすごく大事にして今までやってきました。
いろいろな知らないまちで、人の優しさを知った
アートと並ぶキンさんのテーマ「旅」についてもお聞きしたいです。
最初の旅は中学1年生、友達と鉄道で行った兵庫県。中学生にとっては大冒険で、ものすごい刺激でした。小さい日本の中でありながら、東京と兵庫では言葉も食べ物も違う。例えば「神戸」って名前は聞いたことはあるけれど、実際に旅をする前はどんなまちかは知らないわけで、旅することで知らなかったまちを知っていく経験がすごく面白くて、カルチャーショックでもありました。
そこから旅を愛するようになり、中学2年生のときにはもう一人旅をしていたんじゃないかな。今では考えられないけれど、たぶん中学生で野宿とかもしていたような気がします。その後、高校・大学生になると旅が本格化して完全に「放浪」になりました。ヒッチハイクをしながら、夏は北海道、冬は九州を目指して、行った先では1カ月とか長く過ごすような生活をしていました。
ヒッチハイクで放浪、いろいろなエピソードがありそうですね。
25歳くらいまでヒッチハイクをしていたのでいろいろな思い出がありますよ。長い距離を何台も乗り継いでいく中で、自分のそれまでの旅の話をいろいろな人にするんだけど、7台とか乗り継ぐと7回同じ話をすることになるから、だんだん話がうまくなっていく。その経験で話術がどんどん磨かれていったかな(笑)。
親の立場なら「知らない人に気をつけなさいよ」と言いたくなるだろうけれど、そんなふうに旅をしていて、どちらかというと自分はいろいろな人から優しさを受けて、「知らない人は優しいな」と学んだように思います。同じことを今、自分の子どもにさせられるかというと、ちょっと分からないけどね。
どのまちへ行っても地元の人のようになりたい
津々浦々のまちに精通するキンさんから見て杉並はどんな印象ですか?
杉並にもたくさん縁があり、阿佐ケ谷ロフトAでは40回以上トークライブをしているし、阿佐谷七夕まつりで張りぼて・イラストを展示したこともあります。杉並は昔から大きな街道が何本も通っているまちで、甲州街道に青梅街道、阿佐谷パールセンターも古くは鎌倉街道の一部だったわけで、古来、交通の要所であり、人やものが行き交う場所だということです。
小金井育ち、吉祥寺在住の僕からすると、杉並に入る時点で市外局番・東京「03」の壁を感じますが(笑)。でも杉並も豊多摩郡だったときは全然「こっち側」だったわけで、都会でもあり田舎みたいなところもある、ちょうどいいバランスのまちだなと思います。ある意味東京の縮図みたいなところがあるんじゃないかな。
あとは、杉並の「杉」をはじめ、松山通りの「松」、畳表に使う「井草」、荻窪の「荻」、その場所に生えていた植物に由来する地名がめちゃくちゃ残っている地域だというのも面白いよね。

20年前に描いた理髪店の看板(阿佐谷南3丁目)
キンさん視点の、まちを楽しむヒントをぜひお聞きしたいです。
どんなまちでも基本的にまずは歩く。歩きながら「なんだこれ?」と湧いてくる小さな疑問・違和感について、「こうなんじゃないかな」と仮説を立てる。そこから答え合わせ的に調べて仮説を検証すると学びに至るし、ちょっとしたことを知っていくことで、そのまちを本当に知ることができる気がします。
永六輔さんの言葉に「知らない横丁の角を曲がれば、もう旅です」というのがあって、本当にそれに尽きる。よく知られている観光地とはまた違う、あまり知られていないけど面白いのに!というポイントはどのまちにもたくさんあります。例えば湧き水が有名で人が押し寄せる観光地じゃなくても、杉並の大宮八幡宮に地域の人が毎朝水をくみに行ったりしているの、すごいじゃないですか?これからもそんなところに注目していきたいし、そういうところを知らないのはもったいないなと思います。僕は全国どこへ行っても「地元の人」のようになりたい。僕の人生そのものが旅みたいなもの。まだまだ旅は続きます。
キン・シオタニ流!まちの歩き方

独自の視点でまちを捉えて全国を旅しているキンさんに、旅の楽しみ方を教えてもらいました!
- POINT1 まちを選んで歩く
商店街にスポットを当てたり、地名で選んだり、自分の好きなテーマの場所を歩こう - POINT2 疑問が浮かぶ
「この名前はどんな意味があるのかな」「坂になっているな」など、商店街・橋・通りの名前や地形などに注目してみよう。 - POINT3 仮説を立てる
「もともと、ここは川だったのかも…」とか、地形・地名などをヒントに、どんな歴史を持つ場所だったのかを考えてみよう。 - POINT4 検証して学ぶ
実際に見て・聞いて・調べて、仮説の答え合わせをしよう。

gallery! キン・シオタニさんの作品たち

「カラスに『バカァー、バカァー』と言われているような気がする青年」

「ゴミ袋にまだ余裕があるので捨てようか迷っていたものを捨てる決断をする青年」

阿佐谷七夕まつりに飾ったイラスト
キン・シオタニさんのサイン色紙&ポストカードをセットでプレゼント!

| 対象 | 区内在住・在勤・在学の方 |
|---|---|
| 申込方法 | はがきにイベント名「キン・シオタニさんプレゼント企画」・郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号・「広報すぎなみ」の感想・意見を書いて、広報課広報係(〒166-8570 杉並区阿佐谷南1丁目15番1号)宛てにお送りください。または応募フォーム |
| 申込期限 | 12月1日(消印有効) |
| その他 |
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お問い合わせ先
総務部広報課広報係
〒166-8570 東京都杉並区阿佐谷南1丁目15番1号
電話番号:03-3312-2111
ファクス番号:03-3312-9911