79 長龍寺 【寺院】(高円寺南2丁目31番2号)

 

ページ番号1007926  更新日 令和6年8月16日 印刷 

当寺は富聚山(ふしゅうざん)と号する曹洞宗の寺院で、本尊は木造釈迦如来坐像です。寺伝によれば文禄2年(1593年)、心岩舜応(しんがんしゅんおう)和尚が麹町四番町(現・千代田区四番町)に開創したといわれ、元和2年(1616年)に寺地が御用地となったため、市ヶ谷左内坂(現・新宿区市谷左内町)に境内地を拝領して移転しました。明治42年(1909年)、市ヶ谷の陸軍士官学校の拡張に伴い、当地に移転しました。宝暦6年(1756年)建立の本堂、元文2年(1737年)建立の山門は、この時に移築したものです。
寺伝によると、元は「長隆寺」という寺名でしたが、当寺の本寺である雲松院(うんしょういん)の5世玄室宗頓和尚が雲松院境内の池に住む竜に偈(げ)を授け、小蛇と化したところを捕えて当寺の寺宝とさせたことにちなみ、長隆寺の「隆」を「龍」に改めたと伝えられています。
江戸時代の長龍寺は、開基である幕府御使番河野氏をはじめ、甲斐武田氏支流である油川家をはじめとした旧武田家臣団ならびに徳川一門の松平十四家である滝脇松平家(世良田家)、血鎗(ちやり)九郎の異名で知られる長坂家、応仁の乱の西軍の将として有名な「山名宗全」を排出した山名家(但馬山名家)、その他多数の旗本・名家の菩提所で、代々の住職は朝廷より勅賜号を賜わるなど、寺運は隆盛をきわめました。
境内の地蔵堂には、山之手二十八番地蔵の第十一札所として著名な、宝永5年(1708年)造立の豆腐地蔵尊が安置されています。

 

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