荻外荘これまでの歩み

 

ページ番号1063543  更新日 令和3年4月26日 印刷 

杉並区は、令和6年12月の史跡公園としての公開を目指し、荻外荘復原・整備プロジェクトを進めています。現在開放しているのは、南側の芝生広場のみです。

荻外荘の歴史

荻外荘の歴史を、関連する日本の出来事とともにご紹介します。

昭和2年(1927年)

  • 東京帝国大学医科大学教授(現 東京大学医学部)や宮内省侍医頭などを歴任した入澤達吉(いりさわ・たつきち)が、後に「荻外荘(てきがいそう)」と呼ばれることとなる別邸を建てる。設計は、入澤の義弟で、築地本願寺などを設計した建築家の伊東忠太(いとう・ちゅうた)。

昭和6年(1931年)

  • (満州事変勃発)

昭和12年(1937年)

  • (第一次近衞内閣組閣・盧溝橋事件がおこる・日中戦争が勃発)
  • この年の第一次近衛内閣を含め、3度内閣総理大臣を務めることとなる政治家 近衞文麿(このえ・ふみまろ)が、荻外荘に移る。

昭和15年(1940年)

  • 荻外荘で「荻窪会談」が行われる。
  • (第二次近衞内閣組閣・日独伊三国同盟締結)

昭和16年(1941年)

  • (第三次近衞内閣組閣)
  • 荻外荘で「荻外荘会談」が行われる。
  • (東条内閣組閣)
  • (太平洋戦争が勃発)

昭和20年(1945年)

  • (原爆投下・終戦)
  • 近衞文麿が荻外荘で自決する。

昭和21年(1946年)

  • (第一次吉田内閣組閣)

昭和22年(1947年)

  • (第一次吉田内閣退陣)
  • 退陣した吉田茂が、荻外荘に移り住む。吉田茂は、戦後5度にわたって内閣を組織した政治家。

昭和23年(1948年)

  • 荻外荘が、第二次吉田内閣組閣の人事構想の場となる。
  • (第二次吉田内閣組閣)
  • 吉田茂が荻外荘から去る。

昭和35年(1960年)

  • 玄関棟と客間棟が豊島区へ移築される。
  • 北側附属屋が解体撤去される。

昭和37年(1961年)

  • 屋敷地南側の池が埋められる。

荻外荘復原・整備 これまでの歩み

荻外荘復原・整備のこれまでの歩みをご紹介します。

平成24年(2012年)

  • 近衞文麿の次男 通隆氏が逝去。
  • 地元10町会より荻外荘に関する要望書が杉並区に提出される。

平成26年(2014年)

  • 杉並区が、荻外荘の建物部分を含む敷地を取得。
  • 都市計画緑地として都市計画決定。
  • 荻外荘の整備・活用方針を決定。

平成27年(2015年)

  • (仮称)荻外荘公園南側部分暫定開放開始。
  • 「(仮称)荻外荘公園基本構想」策定。

平成28年(2016年)

  • 荻外荘が国の史跡に指定される。

平成29年(2017年)

  • 荻外荘保存活用計画」策定。

平成30年(2018年)

  • 杉並区が、荻外荘の豊島区内に移築された部分を取得。

令和元年(2019年)

  • 「(仮称)荻外荘公園整備基本計画」策定。

現在

  • 令和6年12月の公開に向け、設計作業を進めている。

これまでに策定した計画など

これまで策定した計画類をご紹介します。
(注)ファイルサイズが大きいため、デスクトップ等にダウンロードしてからご覧ください。

(仮称)荻外荘公園基本構想(平成27年3月)

今後の荻外荘のあり方に関する基本的な方針のほか、庭園及び建物の整備・利活用や管理運営等について、区の考え方を明らかにしています。

国指定史跡荻外荘保存活用計画【概要版】(平成29年3月)

荻外荘の史跡としての価値とその構成要素を明らかにし、それらを適切に保存・活用して確実に次世代に引き継ぐための方針、方法等を定めることを目的とした計画です。

(仮称)荻外荘公園整備基本計画(令和元年5月)

「(仮称)荻外荘公園基本構想」「荻外荘保存活用計画」などの既往計画に基づき、史跡公園として公開・活用するために必要な手続き、整備手法、運営手法などを提案し具体化することを目的とした計画です。

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このページに関するお問い合わせ

都市整備部みどり公園課みどりの計画係
〒166-8570 東京都杉並区阿佐谷南1丁目15番1号
電話:03-3312-2111(代表) ファクス:03-5307-0697