84 成宗弁財天社 【神社】(成田東5丁目29番3号)

 

ページ番号1007984  更新日 令和6年9月12日 印刷 

当社は、成宗村がつくられたのと同じ頃、水神様のご加護を祈って、湧水地(弁天池、現在は神社裏手のマンション内)のほとりに創立されたのが始まりと伝えられていますが、詳細は不明です。ご神体は、鎌倉時代に江ノ島弁財天で焚いた護摩の灰を練り固めて作ったという伝説のある、素焼きの曼荼羅像(まんだら)です。
近世の当社は、近在の村々の水信仰の中心地で、日照りが続くと人々は雨乞いのため、弁天社に詣(もう)で、弁天池の水を持ち帰る習慣があったといわれています。近代になっても大正初期頃までは富士登山・榛名詣(もうで)・大山詣等の際には、弁天池で水ごりをして、道中の安全を願ったということです。
この弁天池は天保11年(1840年)、馬橋村等が開削した新堀用水の中継地として利用されましたが、その際池を掘り上げた土で、富士講のための築山(成宗富士と呼ばれた富士塚)をつくりました。この築山は、昭和27年(1952年)頃に取り壊されましたが、境内の大日如来像・惣同行の碑・浅間神社・手水鉢などは、かつての成宗富士のおもかげを伝えています。
また、鳥居前に残る石橋・水路跡は天保用水の名残(なごり)で、明治13年(1880年)銘の中野村・高円寺村・馬橋村三ヶ村用水記念碑(杉並区登録有形文化財)と共に貴重な文化財です。
当社は、弁天講中の人々により手厚く守られてきましたが、現在は隣接する須賀神社世話人と地域の人々により引きつがれ、維持管理されています。

 

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